町田明広『島津久光=幕末政治の焦点』を読みました

町田明広『島津久光=幕末政治の焦点』(講談社、2009)を読みました。
講談社選書メチエの一冊で、通巻番号431となっています。
あとがきによると、編集は講談社の青山遊さん。

目次

プロローグ

序章
第一章 久光体制の確立と上京政略
一. 「久光四天王」体制の誕生
二. 掘・中山による率兵上京への地ならし
三. 久光の「皇国復古」とその政略

第二章 錯綜するイデオロギー
一. 尊皇志士と義挙計画
二. 西国志士たちの思想
三. 岩倉具視=朝廷の思惑

第三章 率兵上京と中央政局
一. 上京開始と反抗勢力
二. 九条関白と酒井所司代の対応
三. 久光の入京と建白

第四章 寺田屋事件の深層
一. 「義挙」へ突き進む志士たち
二. 伏見義挙計画、そして事件勃発
三. 事件の意義と長州藩との確執

第五章 久光vs.京都所司代—朝廷での政争
一. 勅使派遣問題
二. 久光の名代・中川宮

第六章 朔平門外の変—薩摩藩最大の危機
一. 事件直前の中央政局
二. 追いつめられる薩摩藩と中川宮
三. 謀略の真相とその影響

第七章 八月十八日政変—首謀者は誰か?
一. 久光召命問題と上京政略
二. 政変の主役・高崎正風
三. 政変の首謀者と中川宮

第八章 元治・慶応期の久光・薩摩藩
一. 参予会議と薩長盟約の締結
二. 四侯会議と王政復古への転換

エピローグ


NHKカルチャーラジオの「NHKカルチャーラジオ 歴史再発見 西郷隆盛 その伝説と実像 (NHKシリーズ)」を聴いていたおり、講師の町田明広さんが書いた本ということで手にとりました。

幕末の元号

裏表紙に、

幕末がいまだ「政治の季節」であった文久期

とあります。
文久期と言われても、いつ頃かわからない…という思いが年号(元号)について調べ「戦国・江戸元号並べ」を作成するきっかけとなりました。

幕末の年号(元号)は、嘉永・安政・萬延・文久・元治・慶応・明治と移り変わります。
黒船来航から数えると20年足らずの期間で頻繁に年号(元号)が変わっています。
災異を理由として改元がおこなわれるというのは知っていましたが、年号(元号)について調べて知ったことに辛酉革命改元、甲子革令説があります。
文久改元は辛酉革命説による改元、元治改元は甲子革令説による改元です。
干支が辛酉にあたる年、甲子にあたる年には讖緯(しんい)説で大きな変革がおこるとされ、その難を避けるために改元が行われるようになったものです。辛酉年の改元が60年に一度行われ、そのあと4年で甲子年の改元が行われれ、立て続けに改元が起こることになります。

中川宮(=青蓮院宮=朝彦親王)

文久2年の島津久光による率兵上京とそれに引き続く行動で、幕末史がおおきく転回したさまが描かれています。
著者が「島津久光四天王」と呼ぶ島津久光の側近小松帯刀・中山中左衛門・堀次郎・大久保一蔵の紹介のあと、文久年間の島津久光の動向・京都での薩摩藩士の動向が記されます。
出来事には日付が示され、いつ誰がどこにいるのか、京都にいるのは誰か、誰が行動したか、史料に即して示されます。

幕末史をほとんど知らないので、初読時には人名判別ができませんでした。
中~さんいたなというかんじで中山忠能と中川宮を混同したり、正親町三条と三条を混同したりしました。
中川宮に関しては、他の幕末を扱った本でも登場するのですが、呼び名がいろいろあって同一人物となかなか気づきませんでした。朝彦親王、尊融法親王、青蓮院宮、久邇宮…など。

朔平門外の変

「第六章 朔平門外の変—薩摩藩最大の危機」が、非常に印象に残りました。
「朔平門外の変」とは、文久3年5月20日堂上公家の姉小路公知が、朔平門外で暗殺された事件です。
幕末志士を紹介する本で、公家が暗殺された事件があったことは記憶にありました。この時期「天誅」と称する尊王攘夷派による幕府側に対するテロが並ぶなかで、佐幕派による尊王攘夷派へのテロと紹介され、この事件は毛色が違ってるなあと思いがありました。対象が公家であるというのも珍しい感じがしました。

本書では、「朔平門外の変」の背景、事件の影響、そして事件の真相に迫っています。
姉小路公知は「即今破約攘夷派」の旗頭の公家です。文久3年5月20日夜に、朔平門外で三人の刺客に襲われ重傷を負い、その後死亡しました。
現場には、薩摩藩士田中新兵衛の刀が遺棄されていました。田中新兵衛は捕縛されますが、隙を見て自殺してしまいました。
犯行関与を疑われた薩摩藩および薩摩藩に協力的であった中川宮の立場が危うくなりました。

田中新兵衛は「天誅」を行う側でした。「即今破約攘夷派」の姉小路公知を殺害するのはおかしいということで、以前読んだ幕末志士を紹介する本では、何者かが田中新兵衛の刀を盗み現場に置いた謀略とする説が紹介されていました。
本書では、田中新兵衛が犯人である、とみています。黒幕には、「即今破約攘夷派」の公家滋野井公寿・西四辻公業があったと推定しています。
では、なぜ彼らは姉小路公知を殺害したのか?
実は、姉小路公知は事件の少し前から通商条約容認に傾いたから。

姉小路公知は事件の一月前に大阪に行っています。そのさい、勝海舟から海軍設置の説を聴き、幕府軍艦順動丸に乗り込んでいます。この後、「即今破約攘夷派」から脱却し通商条約容認に傾きます。そのことは、一部の者は知るところとなりました。
「即今破約攘夷派」の滋野井公寿・西四辻公業は、姉小路公知の変節は「即今破約攘夷派」の死活に関わると考え、殺害を計画。田中新兵衛をひきこみ、事件を引き起こしました。

これが本書の見立てです。

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